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1900年代

クラブ設立は1905年4月3日。当時スウェーデンから国旗をなびかせた船がボカ港に来航していた。このスウェーデン船が掲げていた国旗の色から、ボカ・ジュニアーズ(以下、ボカ)の偉大なチームカラー「Azul y amarillo(青と黄)」 が誕生した。これが、チームカラーの由来である。以前は水色や青と白などがチームカラーとして使用されたこともあった。

1910年代

1913年から Boca Juniors は、アルゼンチンサッカーリーグ (1部) に参戦。初期の公式戦 1919、1923、1924、1930年は、アルゼンチンサッカーはまだアマチュアリーグであった。しかし1925年のこと、ボカは全欧州遠征を実現。この遠征での戦績は、19試合で15勝3敗1分。40得点し、失点はわずか16点だった。Manuel Seoane は12得点を挙げ、チーム得点王となった。

1930年代

1931年、プロフェッショナルリーグとして開幕。この年ボカは、プロリーグ初のタイトルを手に入れ、中でもFrancisco"Pancho"Varallo(ボカ歴代得点王 181ゴール) とRoberto Cherroは、チームの主力として活躍した。
2度目のタイトルを勝ち取ったのは、1934年、39試合23勝7敗9分、得点101、失点62。パラグアイ人Delfin Benitez Caceresの活躍によりこの年のチームは、1931年優勝時よりも、さらに話題を呼んだ。

1940年代

1940年5月25日。現在の Boca Juniors スタジアム Camilo Cihero (通称ボンボネーラ) が完成した。その規模 105×70、観客収容 60,245人。calle Brandsen 805 に位置している。(ボンボネーラは、長い歴史の中で数回にわたり改装されており、現会長 Mauricio Marcri により、1953年に、観客席や年間ボックス席等が新装された)
1940年代に入ると、まずは40年に、史上4度目のタイトルを勝ち取った。チームの主力となったのは Jaime Sarlanga であった。続く1943年、、30試合18勝3敗9分で、 40年代2度目のタイトルを勝ち取った。当時主力として活躍した顔ぶれには、Natalio Pescia、Mario Boye、Severino varela、そして40年の優勝の主力選手の Salamga などがいた。
そして Boca Juniors が6度目のタイトルを勝ち取るまで時間はかからなかった。1944年、前年とほぼ同じメンバーだった。その後タイトルを勝ち取ったのは10年後の1954年。この年の戦績は、30試合21勝6敗3分。Natalio Pescia が、44年の優勝に引続き、チームの主力選手として活躍した。

1960年代

1960年代は4度優勝を果たした。まずは1962年で、28試合18勝3敗7分。得点45、失点はわずか18点。主力選手となったのは Antonio Roma、Silvio Marzolini、Antonio Ration、Paulo Valantin、Ernesto Grillo 。そして1964年、60年代2度目のタイトルを勝ち取る。30試合、17勝3敗10分。35得点、15失点。主力メンバーは、62年とほぼ同じ。続く65年も Boca Juniors はタイトルを勝ち取る。34試合19勝12分。敗戦はまずか3戦のみ。
そして69年、60年代最後のタイトルを勝ち取る。ボカはこの年、全国優勝を成し遂げ、チーム総合力は向かうところ敵なしであった。さらに Madurga の2得点により対リーベル戦に引分け、 cancha de River でのウイニングランと、記憶に残る優勝となった。戦績は17試合、13勝3分、敗戦は1敗のみ。主力となったのは、Rojas、Madurga、Roma、Sune、Marzolini、Melendez など、錚々たる豪華メンバーがチームに貢献した。当時の監督は名将 gran Alfred Di Stefono である。

1970年代

1970年代は、77年、続く78年に、レベルタドーレス杯優勝、intercontinental (現トヨタカップ) 優勝と、国際大会で3つのタイトルを勝ち取った。
リーグでは、1970年に70年代最初の優勝を果たした。22試合15勝4敗3分、40得点、21失点。主力選手は、 Roma、Rojas、Marzolini、Mouzo、Sune、Madurg らが活躍した。その後1976年、 Nacional と metropolitano で優勝を成し遂げる。
metropolitan リーグは11試合8勝3分18得点8失点。決勝でリーベルに chapa Sune がゴールを決め、1-0で勝利。同リーグとも、ほぼ同メンバーで参戦した。しかし Nacional リーグの優勝は、 Mario Zanabria の活躍がなければ有り得なかったであろう。
そして1977年9月14日、Boca Juniors 史上初、レベルタドーレス杯を勝ち取った。決勝の相手は Crzeiro で、第一戦1-0でボカが勝利、第二戦は敵地ブラジルで1-0と敗戦、第三戦の会場となったのはウルグアイの Centenario de Montevideo 。試合は引分けのままPK戦の末、5-4で Boca Juniors が、この大会初優勝を成し遂げる。続く78年のレベルタドーレス杯。相手は Deportivo Cali (コロンビア) 。第一戦は不利な敵地で0-0で引分け。そしてホームに迎えた第二戦、ボンボネーラで4-0で Boca Juniors が快勝。この大会、二連覇の快挙を達成する。
同年、 intercontinental (現トヨタカップ) 決勝では、ボンボネーラで Borussia Monchengladbach に3-0で勝利を収め、intercontinental 初優勝を成し遂げた。

1980年代

1980年代は優勝とはほとんど縁のない年代となる。しかしクラブ史上、忘れることのできない偉大なプレーヤーである、 "スーパースター" Diego Maradona の時代であった。 青と黄のユニフォームを身にまとう彼のプレーに、観客は魅了されたのだ。
リーグ優勝は81年の Metropolitano のみであり、その年の戦績は、34試合20勝4敗10分、60得点、27失点。勝点50は、 2位の Ferro と、その差はわずか1点であった。主力選手は、 Maradona、Brindisi、Ruggerl、Gatti、Mouzo 。
その後優勝から遠ざかるが、1989年のスーパーコパ決勝、対インデペンディエンテ戦第二戦、0-0の引分けのまま PK戦へもつれ込んだ末、インデペンディエンテを下し、Boca Juniors 史上、国際大会4度目のタイトルを手に入れた。この大会の主力選手には Navarro Montoya、Claudio Marangoni、latorre などがいた。

1990年代

1990年代は、92年にリーグ優勝を成し遂げた。最終戦、対 San Martin de Tucuman 戦に、 benetti の同点ゴールで 1-1の引分けに持ち込み、優勝した。タイトル獲得の主力選手は、Simon、Navarro Montoya、Cabanas、Tapia Marcio、 Martinez、Giunta らがいた。

2000年代

2000年代は名将ビアンチの指揮の下、数々の国内外のタイトルを獲得し、ボカは世界的に知名度のあるビッククラブとして成長する。現時点(06年12月)でリーガ優勝4回(Apertura 2000, Apertura 2003, Apertura 2005, Clausura 2006)、コパ・リベルタドーレス(トヨタカップ)優勝3回、コパ・スダメリカーナ(日産カップ)優勝2回、そして、2000年にレアル・マドリード、2003年にACミランを破り2度の世界王者に輝いている。

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